パンチャティキ宮(トスカーナ州庁舎・Itallia 2005年)回顧録 [SHIN-ONのある処]

2005年はローマ法王が亡くなられ、葬儀等でイタリアは大変でした。

そんな中で、SHIN-ONがスケジュールはずれましたが
トスカーナ州庁舎で展示されました。

当時のトスカーナ州議会議長:リッカルド・ネンチーニ氏の言葉と共に記録したいと思います。




SHIN-ON...は心の叫びのようなもの
自分自身との調和の表現である。

松山修平展

 アート界に2002年より登場し、トスカーナ、アメリカを発信源として現代芸術家をイタリアおよび外国に対してプロモーションしてきたスター・アルテ・ギャラリーの製作した素晴らしいカタログのおかげで、日本生まれでイタリアで腕を磨き、現在の世界の美術シーンでも最も重要な存在の一人となったこのアーティストの世界を知ることができる。


 松山修平は東京生まれだが、二十一歳の時に自らの修養のためにイタリア渡航の必要を強く感じるようになった。かつて十七世紀から十八世紀全般にかけて、主にイギリスやフランスの多くの芸術家、文芸家などがティレニア海沿いに南下して来て、そこから内陸に入ってイタリア中部、南部を巡る習慣があり、それは「グラン・ツール」と呼ばれたが、松山の歩みはこうした昔日の芸術家たちの足跡を辿るかのようである。そして修平の新しい文化を求めるその旅は日本から出発してイタリアのペルージャにたどり着くことになる。同地に留まることにした彼はイタリアの古今の巨匠たちを間近に眺めながら美術アカデミーで絵画の修行を積み、90年代初頭にミラノに移り住み、現在に至っている。


 精神的にも現実的にも留まることを知らない旅人である彼は、かつても今も彼の大いなる文化的関心を引き続ける第二の祖国ともいえるイタリアでも、また彼の芸術を非常に評価する国アメリカでも盛んに発表活動を展開している。深い東洋的なエッセンスの語り手である彼の現在の使命は、絵画を通して西洋に対して「全ては音である」という持論を教え広めることにある。知性とともに東洋と西洋の両方の世界に属する心だけが発揮できる技術的・精神的な精確さによって配された色彩が主役となって記号と感覚の響き合う作品とともに、松山修平は国際的なアートシーンの中でも最も評価されるマエストロの一人と目されている。視覚と聴覚という異なる感覚によって知覚される一見異質な世界を統合して見せる彼の世界は、音の視覚的表現であり、その色彩を操る身ぶりは、技術的にも精神的にも真の名人のそれである。


 2000年からさかんに文化交流を促進しているトスカーナ州議会庁舎を2005年夏期展示ツアーの皮切りにお選び頂いたことを感謝しつつ、松山修平氏自身よくご存じで心から愛していらっしゃるトスカーナの地が氏にとって芸術的な意味でもまた、人間的な触れあいという意味からも素敵な出会いの場になることをお祈りしております。


リッカルド・ネンチーニ(トスカーナ州議会議長)

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